あんなモノ症候群

考えたことを書き出すところです。

お気持ちの話。

人に喜んでもらうとうれしい。

 

 これは自然な感情だと思う。人に喜んでほしいし、笑ってほしいし、幸せな気分になってほしいし、好かれたいみたいな感情は自然だと思う……みたいなことをいっても否定はされない気がする。

では、人に不快に思われるとかなしいか?

つまり、人に嫌がられるとかなしい、いやな気分になられるといやだ、不幸せな気分になられるといやだみたいなことを考えるとどうだろう。

 どうだろうもこうだろうもないけれど、この理論の流れで行くとたぶんいやな気分になると思う。でも、これはどうなのだろう。人をいやな気分にしておいて、自分がいやな気分になっていいものだろうか。そりゃ人がいやな気分になってるのに喜んでるとか悪趣味かよっていわれるとそれはもちろんそのとおりなのだけど、では、「何機嫌が悪くなってるんだ、こちらも嫌な気分になるじゃん」っていうのもなかなかどうして逆切れ甚だしくないか。声に出す出さないはおいておいて。

 

 さて、人に喜ばれたいというのが自然なら、人に嫌がられたくないというのもまたある程度自然であるとは思う。では、人に嫌がられないようにすればいい。そのための行動として人に嫌がられる行動を避ける必要が本来ある。しかし、たまに「嫌がるなと主張する」「嫌がるべきではないと主張する」という方法をとるパターンをみたりする。たまに。「いやでも我慢しろ」と言っているわけではなく、「いやな気分になると私がいやな気分になるからそもそも不快に思うな」もしくは「思うべきではない」という主張。あれは醜い。醜いけどたぶんやりがち。実際に口に出すかは置いといて態度に出たりしがち。

 

そういう「主張」をする人間になりたくない。そういう時素直に自分が悪かったと思える人間になりたいなとは思うのです。最悪、別に相手に不快になられても関係ないしでも可。嘘。不快に思われたくない。うぁー。