あんなモノ症候群

考えたことを書き出すところです。

僕らはみんなズレている。

「あなたの趣味はなんですか?」

 

  趣味と言っていいラインというのは、散々議論されてきた命題の一つであると思う。

この問いに対して、私なりに一つの答えを提示させてもらえるなら、私は一般人とズレた価値観だと答えたい。これはある種の"オタク"になることだと定義できる。もちろん趣味の定義には色々ある。ずるいと知りながらも、これは一つの考え方だと言い訳をさせてほしい。

 

 人は何かについて深く知ることで、新しい価値観を得る。"一般人"と異なる目を持つ。ある人はただ電車に乗るためだけにわざわざ飛行機を使い、またある人はただのデータに沢山の額のお金をつぎ込み、またある人は作品のなかの普通の人たちが目にもとめない技術を評価する。このズレはふとしたときに顔を出し"オタク"特有のキモさを生む。

 

  ある一定のレベルに達すると、"オタク"はこのズレた価値観と共生する術を身につける。それは"オタク"としての目を確立だ。これにより"オタク"は自分の中の"一般人"としての自分と"オタク"としての自分を分離する。こうすることにより"オタク"たちは"一般人"と"オタク"の価値観の交わる点を理解し、表に出す価値観や知識を選択することを覚えたり、"オタク"の価値観を発揮してもキモいと言われないコミュニティを作り上げる。これはSNS時代の"オタク"たちの身につけた擬態術である。正確にいうと、昔からこのようなコミュニティは隠れて存在していたはずなのだが最近はそのような隠れたコミュニティが"一般人"に対して可視化されはじめただけとも言える。

 

 この可視化が一つの問題を生む。あくまで"一般人"と"オタク"の接点を理解して表に出していた価値観や知識を"オタク"の知識だという一種の誤解である。この誤解により発生するのが自称"オタク"である。悲しいかな、彼らはあくまでその一部の価値観を"オタク"の価値観だと考えてて"一般人"のまま"オタク"を自称する。キモくないまま、ときに"オタク"をキモいと思う価値観を保持したまま悪気なく。

 

  この "オタク"はときに"一般人"のままコミュニティに入りこんだり、ときに"一般人"のまま"オタク"としてグループを作ってしまうことがある。結果として、コミュニティの中においても、"一般人"の判断基準としても、自称"オタク"のレベルに近づくように"オタク"のラインは下げられてキモいのラインも同じく下がることにな?。つまり、"オタク"たちがキモいと思われるリスクを高める要因となる。"オタク"たちにとって自称"オタク"たちとの価値観のズレはキモさを生む、"一般人"と"オタク"の価値観がズレているように。いや、同じ"オタク"としてそれ以上に。

 

  それでも、それでもだ。"オタク"は自称"オタク"に敵意を向けてはならない。仮に嫌悪感を感じてしまってもだ。彼らもまた、純粋に同じ趣味を楽しむ"オタク"なのだ。むしろ、一般人から見て"オタク"としてズレてしまっているのは自称"オタク"ではないもともと"オタク"たちだったほうなのだ。

 

  一つの趣味を続けて行けば、いつかは"オタク"の価値観はコミュニティからズレていき、キモくなってしまうときがくる。コミュニティにキモさを感じる時、それは自分自身がキモいときなのだ。そのキモさを認め、コミュニティの中で新しい価値観を受容(擬態)するか、そのコミュニティを捨てること、それが"オタク"  を迫害しないため、真の"オタク"が唯一できることだと僕は思う。

 

わかっちゃいるんだけど、思考と行動がズレちゃうんだなぁ。