あんなモノ症候群

考えたことを書き出すところです。

自分の記憶、誰のものでもない知識

小学校のとき、好きだった人の名前を思い出せますか?
自分で言うのもなんだけれど、僕はどちらかというと記憶力はいいほうだと思う。ただ、人の顔と名前はからっきしである。小学校のときに好きだった人の名前も思い出せない薄情さ。しかし、中学校のときとなればなんとか思い出せる。

告白したわけでもないのではないので、この記憶は僕だけのものであるはずで、この人の名前を知っているのは僕だけのはずである。まぁ、バレていた可能性はあるが、それでも確証を持ってという条件をつけていいのならば、僕の小学校のころ好きだった人に関する知識は永久に失われてしまったということになりそうだ。

仮に僕があなたに中学校のころ好きだった人の名前を教えたとするとどうでもいいこの知識はあなたに授けられることになる。ほぼあなただけの知識といっていい。いらんだろうけどこの情報社会の中では珍しいあなただけの知識には違いない。

この情報社会において、どこまでが僕の知識だろうか、どこまでを僕が調べた情報だと言っていいのだろうか。wikipediaに乗っていることの一部を空で話せるのは知識とは言えないか?探せば一つのブログにまとまっているような情報だけでは自分で集めたとは言えないか。本に乗っている情報なら調べたことになるのか?それが一冊の本でもか?でも、どの本に乗ってるか見つけたのは僕だし。でも、wikipediaにその情報が載っているのを見つけたのも言ってみれば僕のような気も。

まぁ、知識なんて所詮誰のものでもないのだ、それを覚えているという自分の記憶と、それをどう感じたかという自分だけが本物だ。みたいなことがどっかの本やブログにまとめられると思う、多分。調べてないので知らんけど。
あぁ、そうだ、僕が調べたことだと自信を持って言うことは難しい、これだけは胸を張って言える。
「調べてないので知らんけど」
せーのっ!無知の知

それではまた来週ーー。