あんなモノ症候群

考えたことを書き出すところです。

ネタバレ依存症

 「恋は光」の最終巻を読んだ。

先月の終わりごろ最終巻が出たのだが、主人公たちの恋がどんな結末を迎えるか、どきどきした。読んでる途中で本を閉じてしまうような漫画だったが、いい漫画だったと思える作品だった。

 さて、そもそもこの漫画を知ったのは、ネットのおかげである。最終巻が出たのを知れたのもネットのおかげだ。ネット様様なのだが、同時にインターネットの情報の波は時にネタバレの脅威をはらんでいる。このインターネットの時代において、ネタバレを受けずに生きるなんてありえない。それは映画でも、漫画でも、小説でも、そして人生でも。

 

 私たちはネタバレによってなんとなく知っている。例えば、先週公開された映画がだいたいどのくらい期待できるのか知っている。これから行くラーメン屋さんがどんな味でどのくらい評判がいいのかを知っている。来週販売されるゲームがどのくらい面白いかも何となく知っている。自分の容姿が、能力がだいたいどのくらいで、どのくらいの位置にいて、これからの人生でだいたいどのくらいのものを得られる期待値があるのかを知っている。

 そして、同時にそれなしでは生きられなくなっている。ほかの人がおいしいと言っている店を探すし、人の評価が悪い映画は何となくやめておこうかと思うし、損をしないように、身に余った幸福を求めないように。こういうものがいいものだ、こういうものがおいしいといわれているのかと、先に評価を後に感想を。これ他人の評価や評判を自分の好みや能力と照らし合わせて生きている。

 

 だけど、それと同時に、ネタバレによって逃している機会もたくさんあるんだろうなと思う。特に本当に他人が評価するものが自分にとってもいいものなのかに疑問があるのならばなおさらだ。今の世の中、これから私たちの手に入れる者たちの評価がすぐにわかると同時に、自分たちの出す物自体も「いいね」の数によって良し悪しをすぐに判断されてしまう。ネタバレへの依存は「いいもの」への依存だ。「いくないもの」にたいする恐怖心だ。ただし、この世の中における「いいもの」は多数派の評価でしかない、そして、たまたま多数派の目についたものでしかない。それを思うと、本当に自分にとって「いいもの」とは何かは自分の頭で考えるのをやめるべきではないとなんとなく思ったりする今日この頃です。

 

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