真贋の彼岸
ボスとリーダーの違いを知っているだろうか。
ボスは命令するもの、リーダーは導くもの。
ボスは自分がといい、リーダーはみんなでという。
などなどなど。
……あなたはボスですか?リーダーですか?
なんなん??
はっきり言おう、僕はこの手の二律背反や、納得する画像みたいなものが苦手である。「リーダーとボス」だろうが、「議論と話し合い」の違いだろうが、嫌いだ。一般化して「本物の○○」なんて見た瞬間、地雷を確信する。
これには2点気にくわないところがあるのだ。まず1点目は言葉狩り的側面である。別にリーダーもボスも悪い言葉ではなかったはずなのに、このような説明をすることによってまるでリーダーがいい言葉、ボスが悪い言葉みたいである。なんだいい言葉って?水に聞かせるときれいな結晶になるやつか!?
そして、もうひとつ、なにかの悪い側面を片側に押し付けていることだ。悪いというより、誰かの嫌いな側面だと言い換えられる。ものごとにはいい点とわるい点がある。まぁ、どんなものにも悪い部分は少なからずある。それは誰にとってもある程度明らかに悪いことから、まぁ半々くらいのものまでさまざまだ。
この悪の部分を大小ひっくるめて片側に押しつけることで、悪い部分は「偽物」の側に押し固め、「本物」の側は自分にとって好きなものだけ残していく。半々ぐらいの悪いというより嫌いな部分も、ほかの悪い部分で押し固めることで、悪いものにしてしまう。なによりもはっきりとした「偽物」を定義して追い出してしまうのは楽なのだ。そして、とてもすっきりする。悪いのは「偽物」だから仕方ない、私がそれを嫌いなのは偽物だからだ。
残念ながら、僕たちは「本物」の世界に生きていない。あなたの嫌いなものも、好きなものもごちゃまぜで、この世界の本物だ。白黒をはっきりさせて自分とそのまわりにとって都合の悪いものを「偽物」としておいやってしまうのは簡単だけど、それは現実からの逃避になってしまいそうだ。
現実は真贋の彼岸にある。
それも僕がそれを現実だと思いたいだけだけど。