あんなモノ症候群

考えたことを書き出すところです。

物語語り

最近、Prime Videoをよく使っている。もともとamazon Primeの会員ではあったのだけど、特に使っていなかったのだけどアプリを入れると、端末にダウンロードできることを知ってから使いはじめた。お家でWi-Fiを使えば、通信速度制限を気にせず動画を観れる。便利だ。そんなPrime Videoで『偽物語』が配信され始めた。

 

今更だけど、僕は西尾維新が好きだ。その中でも、物語シリーズが好きだ。もう22巻も出ているとさすがに最近ぐだぐだだったが、最新刊『結物語』はなかなか初期の空気感が出ていてよかった。

 

閑話休題

 

先に触れた『偽物語』を含むアニメ『物語シリーズ』はなかなか面白いアニメだったりする。そもそも、『物語シリーズ』は会話劇が多い。昨今のラノベも会話ばかりだと言われるが、もうそんなものではない。場面が動かない。1話の登場人物が2人だったりすることすらある。絵が動かない。キャラクターを描くだけではもたない。となると、映像に何を写すか。演出である。心象風景、抽象化、印象操作、読めないほどの量の文字、多かれ少なかれ映像作品には含まれる演出だけで会話劇を映像作品たらしめる。このアニメを見た後に、他のアニメを見ると今まで見えなかった演出が見えてきたりする。

 

アニメに偶然はない。影も、天気も、街灯も、必ず誰かによって描かれている。人が描いたものには意図がある。気付こうと気づかなかろうと、その意図のきめ細やかさが観る人に働き、良さを作るんだろうなぁと思う。

演出は難しい。意図がわかりやすすぎると考えられてしまう。頭で考えられては演出が機能しない。しかし、わからないようにしすぎてしまうと印象に残らない。

そういう演出の意図に気づけるようになりたいような、気づかず楽しく見たいような。 

 

その点、『物語シリーズ』はもはや演出の物量で思考をオーバーフローさせるので、意図がどうとか考え尽くせないところがいい。多分、僕がまったく気にもとめてない演出とかもいっぱい入ってると思う。

 

余談だが、このアニメには副音声がある。なんとオーディオコメンタリーでキャラクターが喋る。ただでさえ会話劇のアニメで副音声でもキャラクターが喋り倒す。なんなら本編より喋る。声優さん、本当にお疲れ様である。意図の話でいうと、『猫物語(黒)』の副音声の意図に気づいた時、とてもゾクッとしたので是非みなさんこれのためにもDVDを見て欲しい。これを楽しむためにはある程度本編の知識が必要なのだけど。

 

物語シリーズ』をみんなに見て欲しいというのがこの文章の意図だったりする。伝わっただろうか。もう、完全にただの宣伝である。

何かいいことあったらいいね。