嫌わない勇気

『好きになるのに理由はいらない』

かっこいい、一度は使ってみたいセリフである。きっと彼女に「私のどこが好きなの」なんて言われたときに使えばそのあまりのかっこよさに好感度が上がったり下がったりそのままだったりするに違いない。『嫌われる勇気』などでお馴染みのアドラー先生も先に行動があり、そのあと過去に理由を求めるのだと言っていた。先に愛があり、そのあと理由をつけるのだ。かわいいから好きなのではない、好きな子はかわいいのだ。そういう彼女をください。できればどこが好きとか聞かない人がいいです。何の話だ。

 

たとえ話をしたい。あなたはある同期と初めてお酒を飲んだ。そして、あなたは知ってしまう。彼はお酒を飲むとめんどくさいということ、そして口が悪いことも。この人の本心はこんなものなのかななんて感じてしまう。次の日、同期はいつも通り。まぁ、「昨日はちょっと酔いすぎちゃった」なんていって。でも、間違いなくいつも通り、ずっと。でも、あなたは彼をいつも通りの目で見ることができない。

 

なんかちょっとありそうな話である。好きになるのに理由はいらない、嫌いになるのにも(たぶん)理由はいらないのだけど。なにかの理由でちょっと苦手になってしまうことがあったりするだろう。ところで、このお話におけるあなたが同期を嫌いになった理由は何か。同期の酒癖が悪かったから。それは一つの正解だ。しかし、同時にこうも考えられないだろうか。同期とお酒を飲んでしまったからだ

 

「お酒を飲んだら口が悪かったから、本当はそういうやつなんだ」「みんなトラぶっとって仕事がやばいのにあんま残業してくれなかった、協調性がない」「食べ方の行儀が悪い、育ちが知れる」

 

少し考えてしまう。そもそも、ある出来事、一定の条件が発生しなければわからなかったその人の一側面でその人全体の評価を下げてしまうのはもったいないのではないだろうか。「お酒を一緒にのまなかったら」「みんながきつくなるほどの残業がなかったら」「一緒にご飯を食べなかったら」その人のことをちょっと苦手に感じることはなかった。だったら、僕が気にしなかったら。だったら、その状況だけ避けることはできないか。それが無理でもその状況の時のその人だけなんとか分離できないだろうか。

 

本性が出る。この言葉はいろいろな枕詞から導かれる。「窮地になると」、「お酒を飲むと」、「調子に乗った時ほど」などなど。この人は本当はこういう人だ、だから全体がこういう人なんだと判断したい。なんなら、試してみたいとさえ感じてしまう。本性を出させたいと。でも、それは結局その人の一側面でしかない。知ってはいるのだけど。知った気になりたい、相手の本性を。こういう一面を持っている人はこういう本性を持っている人なんだと判別したい。だって、そうしないと僕がいい人だと思っているあの人も僕が許せない側面を持っているかもしれないとなってしまう。それは怖いことだから。

 

その人の本性を決めつけて嫌うのは自分を守るための行為で、本性を暴こうとする、悪いところをわざわざ探そうとするのは弱さだ。嫌わない勇気が欲しい。

 

 

悪意はガソリンの香り。

「臭い」はくさいとも読めるが、同時ににおいとも読むことができる。「くさい」という読みからもわかる通り、「臭い」という文字を使い「におい」と読ませる場合、不快感を伴うものにしか使用することができない。いいにおいに対して漢字をあてる場合、「匂い」という漢字を使う。この文字列自体でその対象がいいものであるか、不快感を感じるものであるかを表現できる。同じ読みなのに文章にしたときその文字から良いものか悪いものか伝えられるというのが興味深い。

 

最近、人工知能学会の論文において、pivixのR-18の小説を学習データとし、「卑猥な表現」を含むものをフィルタリングする方法を考える論文が掲載された。晒しあげだと炎上している。ネット上ではこの件に関して、これは作品に対して、「有害だ」「卑猥だ」とレッテルを張りまた作品の作者、URLを勝手に取り上げた無断転載だと批判が集まっている。これに対して(学術方面からか)それは無断転載ではなく正当な引用の範囲だと異論が出ていた。

 

実際にこの件に関して、論文を読んでみた。(現在は非公開になっている)直接的に卑猥な表現が含まれている文章に関しては、単語でフィルタリングをすることができる。しかし、すべて隠喩の表現だったならばどうだろうか。フィルタリングすることは困難になるだろう。これに関して、特に暗喩の表現に関しては、どの文脈で、どこで書かれたかが非常に重要である。URLごとの"卑猥な暗喩的表現"を人工知能による学習によりフィルタリングするというのがこの論文の趣旨であった。

 

実際にこの論文について読んでみた感想としては、学術的には引用は正当な範囲内であった。ネット上に公開された文章を、URL、作者名、引用した時代とともに記載している。だから、無断転載ではないという反論がでるのはわかる。でもだから、「無断転載」ではないかといわれるとそうとは限らないと僕は思う。

 

無断転載は悪いことだ。これに対する反論は僕には少ないと思う。これはネットにおける無断転載は悪いの意味を含む部分があるからである。よって、学術的な分野における引用であるからといって、ネット文化における無断転載ではないということにならない。ネットにおける無断転載という言葉は作者に無断で不快な用途に作品を使用され、それが悪いということを伝えるための言葉である。

 

今回の論文においては、R-18の小説は卑猥、有害な文章とされていた。有害はもちろんのこと、卑猥は完全な悪意を伝える文言ではないにせよ、悪い意味を含んだものであると思う。当然ながら、論文においては研究の有用性を示す必要があるため、研究において持ちいらられた文章の(青少年に与える)危険性を示す必要があるとはいえ、この論文に怒っている人はそんな悪意を感じたのではないかと思う。

 

炎上する文章には共通するなにかがあると思う。あの論文にはそれがあった。言葉の中には尊敬も卑下も宿る。それは「臭い」、「無断転載」のようにわかりやすく伝えるものとは限らない。ほんの小さな言葉遣い、言葉のチョイス、もしくは行動に対して、ちょっとづつにじみ出る。ネットにより不特定多数の、様々な文化の人々に触れる今、ほんのちょっとでもそれを含めば小さな悪意も感じ取られてしまうのだろう。

 

「無断転載」の例もわかる通り、言葉、行動のうけとり方は文化によって小さく異なる。時に、意図しない悪意が入ってしまうこともあるだろう。意図しない悪意を入れてしまわないように丁寧に行動、言葉選びをしていけないなと思っているのだけどこれがなかなか難しい。僕は元来、雑なのだ。僕が行動や、文章にそういう意図しない悪意を混ぜてしまったときは警告など出してくれないだろうか。炎上に関する研究が進み、この炎上する臭いを嗅ぎ取り警告を出してくれたらありがたいのだけど、例えば人工知能とかで。

140字

Twitterは140字までしか投稿できない。

140字は長いか短いか? 実際、140字は結構長い。長いとして有名な寿限無でさえも数えてみれば100字ちょい程度しかない。というか、それさえもポンポコピーポンポコナーのくだりでだいぶ稼いでる。ポンポコピーって縁起いいのだろうか。

 

ここまで書いて140字。結構いろいろなことが書けてしまうなと思う。同時に、ここまでの文章でいろいろなことを伝えられたかというとそうは思わない。何かを伝えようとすると140字というのは、やっぱり短い。

でもだからこそ、Twitterは特になにか伝えたいことがあるわけでもないけど言葉が好きな僕には実に居心地のいい場所である。そんなことを考えていた時、ふと思ってしまった。

いざ何か伝えたくなったらどうしよう。

 

困った。いざそうなっても、手段もないし腕もない。長い文章を書くというのはそれだけで結構難しいものなのだ。考えるのも恐ろしい話だが、そもそも長い文章を書かないから伝えたいことが僕の中から出てこないのではないか。このままTwitterに順応してしまっていいのか。

 

というようなことを考えてこのブログを始めたのが一年以上前のことである。空白期間が長くなってしまった。もう一回、定期的にある程度の長い文章を書こうと思い立った。初心に帰って、昔の記事も最初のもの以外は消した。

 

縁起のいいものであっても無駄に長いとかえってよくないというのが『寿限無』の教訓の一つである。ましてや、空白期間といいわけは短いほうがいい。少しがんばって続けられたらいいな、そして読んでくれたらうれしいなと思う。

 

上の文章もまとめてしまえば「たまに長い文章の練習もかねてブログを書くのを再開しようと思う。言い訳をすると、長い文章を書く練習的な意味合いもあるのであまり文章はうまくないと思うし、伝えたいことがあるから書くというわけでもないから内容も薄いかもしれない。それでもたまに読んでくれるとうれしい」という内容だ。残念、140字以内に収まってしまった。

 

 

夢を買う人

夢を売る仕事にも、いろいろありますよね。

アイドル、水商売、マジシャン、占い師、ディズニーキャスト……etc

 

その中でも異彩を放つ職業。

 

そう

宝くじ販売員。

 

夢を買っているんだと人は言う。

ならば、宝くじを売る人はきっと夢を売っているのです。

宝くじを買うのをお金の無駄だと笑う人は、浮いたお金で現実を買うんでしょう。

どこで売ってるかは知らんけど。

 

ふと、考えてみると宝くじで手に入る夢って子供のころ描いた夢とは違う気がします。

描いた夢はスポーツ選手とか、宇宙飛行士とか、コックさんとかなんというか代替のきかなさそうなお仕事じゃありませんでしたか?

そう、お仕事。

大人になって夢を失ったって人がいますけど。

そういう人たちは一つの大きな夢を見つけたんじゃないかと思います。

働きたくない。

言えないけど。

この夢は宝くじなら叶います。

実際、人類の大きな夢の一つだと思うんですけどね、働かない。

世の中便利になっても、人の仕事は減らないって結構不思議です。

 

閑話休題


夢を追いかける人がいます。

毎日コツコツ働き、無駄遣いもせず、働いて得たお金のほとんどを夢のために費やす。

 

それがミュージシャンでも俳優でも

「そんな夢ばっかりに見ず現実を見ろよ」とか「叶わなかったとき何も残らないぞ」とかっていう人はいると思うんですけど。

 

それでも僕は、やっぱり夢を追う人はすごいと思うんです。

人間誰でもなんていったら怒られるかもしれないけれど、

やっぱり特別な存在にはなりたいと思っていると思うんです。

そういう存在になるには当然努力だけでなく才能もいるでしょう。

才能を持ちそれとやりたいことが一致していると信じる夢追い人。

 

それに対して、

凡人なる僕は考えます。

特に突出してやりたいことはなく(逆に言えばなんでもやりたい)

でも、突出した才能もない僕も特別になりたいなぁと考えます。

「ビックになりてぇ」なんてよく聞く寝言です。

凡人は寝言は寝て言え。夢は寝て見ろということなのかと。

 

ふと、

特別な人生を歩みたいって点において、宝くじってすごいなと。

「そんなものを買うより、コツコツ働いてお金を貯めたほうがいい」

もちろん正しい。還元率とか。

 

でも、一つの視点として。

5億円。

生涯でこれだけのまとまったお金を持つ人がどのくらいいるのでしょう。

「そのくらい働いて稼ぐ人もいる。そんな人間を目指せばいい」

それこそ、夢を見るな、現実を見ろと思うのです。

誰かがやるならわかるけど、それを自分ができるのかと。

 

実際、才能がない人間が5億円を持つ一番確率の高い方法って

実はコツコツ働いてそのお金を全部宝くじに費やすことなんじゃないかとさえ思います。

ましてやそれが20代や30代ならなおさらです。

 

やりたいことがない人間でも

年齢、性別、国籍、信条、宗教、人種、職種、才能に関係なく、

平等に特別な存在を目指せる

それが宝くじ。

 

いや、もちろんだからといって

毎日コツコツ働き、無駄遣いせず、稼いだお金を宝くじのために費やす。

 

まぁ、やらないですよね。

それが、特別な人生を歩むもっとも確率の高い方法だとしても。

 

夢がかなわなければ、何も残らないっていうのはやっぱり嘘で

その過程自体が残るものだと

でも、それが残るものだって思えるのは、それが好きなものだからだとも思います。

毎日、夢の味でも飽きないのはすごく好きだからで。

やりたいことがない人が毎日それじゃ飽きちゃうのではないかと。

 

大きい夢を追う人にはなれないけど

たまには、そんな人の気分を味わいたいこともある。

そんな時に、ちょっとかじるくらいがちょうどいいかなと思うのです。

一口で300円なら悪くないかな。